越えられない壁について

ひとは一人でもなんとか生きていけるって思うひとを見かける度に

「この人は悩んでいるときはどうやって解決するのかな」って思う。

もしかしたら常に加害者側に人間で悩むこともないのかもしれないけれど。

 

 

つらいときに一人でいたいと思っても一人でいると気持ちは暗くなるばかりで

そんな時に、例え理解が得られない場合でも人に話して「共有」するということはとても大事なことであると思う。

それにより、自分になかった考え方を得たり、自分を客観的にみるきっかけになったりもするので・・・

 

また相談をしないまでも「誰かに話したい」と思ったとき頭に思い浮かぶ人がいるというのも暗い気持ちから立ち直るためには大切な要素の一つだと思う。

 

私自身も、高校3年の時に夜中どうにもならなくてわんわん泣いているときよりは、今の構ってもらえなくてわんわん泣いている方が立ち直りが早くなった気がするし

何より頑張っても認めてもらえるのとそうでないのとでは大きな差があるように思う。

 

 

お世話になっているお姉さんと連絡が取れなくなってまた1週間経ってしまった。

 

完璧主義という言葉がとてもよく似合うひとで、十分な成績をとっていても「維持しないとね」と日々努力を続けていた。

うるさい人間たちも周りにいたが、成績で黙らせてしまうような人だった。

 

でも、そういう人だって悩む時が絶対にある

 

亡くなった旦那さんからもらったのであろう指輪を今でも大事にしていたり

時々遠くを見つめていることもあった。火照りがあるのが気になっていた。

ものの考え方が合ったのでいろいろな話をした、最近は少し愚痴が多くなったように感じてはいたけれどまさかこんなことになるなんておもわなかった。

 

出来ることは全部やった。あと本人がどうしたいかに任せるしかない。

今もどうしているかわからない。

 

電話の向こうで何回も何回も「ごめんなさい」という声が震えていて

私がこのお姉さんよりもっと年上だったら何か話を聞いたりもできたのかなと考えてしまう。

「年齢なんて関係ない」というけれど

こういった場面に遭うとどうしても「年齢」や「経験」は越えられない壁で

どんなに助けたいと私が思っていても、相手が求めているのが私ではない限り私にはもうどうすることもできないんだなあってそう思うとすごく悲しくなってしまう。

 

時間がかかってもいいからまたいつのまにか周りを巻き込んでしまうようなあの勢いのあるお姉さんに会いたいなあと

 

私が今できるのはそう思い続けることぐらいだ